こどものころ、バスに乗ったら”「おります」のボタンを自分が押せるかどうか”というのはかなり重要なミッションでした。それはいまの子たちもきっと一緒なんだろうなと思いながらぼんやり見ていたりします。だれかに先に押されちゃったときは、ほんとにがっかりするんだよな。
僕は実は、「次は、○○1丁目、○○1丁目」っていう車内アナウンスを流すスイッチ(運転手さんの手元にある)を一度押させてもらったことがあって、今でも強烈に憶えています。それは、自分がボタンを押して流れたアナウンスを、たくさんの人(といっても車内のお客さん数名だけど)が聴く、というような、「自分が発したものを多く知らない人たちに認識してもらう」ということのおもしろさを知っていく種になった、かなり初期微動的なもののひとつだったんじゃないか、と、割と真剣に思っています。だってすごいきもちよかったもんね。へへーん。って。「これ、押したから、車内にアナウンスが響き渡ったんだ、すげえ。」みたいな。そういう”打って響いた”感がすごく気持ち良いことを知り始めた頃だったんじゃないかと思います。
でもところで、車内のアナウンスって、バスの床下にお姉さんが居て、そのお姉さんがマイクでしゃべってると思ってませんでした?か?思ってたでしょ?絶対。