夜、自分が作っているウェブのための新しいコンテンツの提案の種を探していたら松浦亜弥のライブ映像配信に辿りついていたというか見入っていた。なんだこの見入っちゃう感じ。同僚何名かに見せてみた。それを見ていて思った。なんだこの見入っちゃう感じ。
なんですか?
最近、ポップスというものの強さというのをじわじわと感じています。ここ1,2年で、作品を作る際にも、カルトになるよりもポップスになれ。と思って作るようになりました。
思春期以降、年齢が若ければ若いほどポップス的な立ち位置のものを好むことはカッコ悪いことだと感じる傾向にあるのは否めないと思います。時には人と、より違うものを嗜好していくこと自体に個性を見出そうとする人もいます。
けども。ミスチル聴かない人はたくさんいてもミスチル嫌いな人ってあんまりいないです。かっこわるいからドリカム聴かないっていう人はいてもドリカム嫌いだっていう人を知らないです。
なに?この、ポップスの強さって。
作品をつくっているとよく、作品は好かれるか嫌われるかどっちかでなくちゃならない。といった類いの話を聴きます。僕もそんなことを言ったりします。僕はそれを、作者の気持ちが伝わったならばかならず好かれるか嫌われるかするもんで、どっちでもないものはただ何も伝わってないだけなんだ。という意味でしゃべっています。
その感覚がだんだんぼやけてきました。たとえばポップミュージックのように誰にでも好き嫌いなく、すぅっと浸透してしまうような作品はすごぉく素敵なんじゃないかと思うようになってきました。「ある種類のひとたちには嫌われてしまうことを恐れていては、十分にプレゼンテーションできずに、好きになってほしい人たちにさえ好きになってもらえない。」といった考えを今まで持っていましたが、最近は、「いや、きらわれるのはまずいっしょ、いやでしょ。」と考えるようになってきたのだと思います。
ある個性を持った作品が、多くの人たちに嫌われることなく、同じ数だけの別の人たちに好かれるなんていう虫のいい話は無いと思っていたけれど、ポップスのひとたちはそれをやってのけている。僕はポップスがつくりたいと思うようになりましたよ。正直最近。
僕はわたしはクリエイターだ、というみなさん、どう思いますか?