でもさ、mixiやBLOGのイメージって最近こんなんじゃないかな。いや、悪い意味で。
きもいもん。身勝手に悲観的なだけの駄文を掲載して満足してる類いなんてさ、いいかげん迷惑だからやめないか?みなさん。
webコンテンツ、特にBLOGにおける匿名性の高さには、誰に対しても何ひとつ良いことなんてない。それを書いている本人を除けば。
発言をするなら面と向かって会話のなかで言えるようなことを発信しよう。例えばあなたのその中身のない自己顕示は、誰かの目を見て直接言えるか?それが出来ないのならただの書き逃げでしょう。
自分の意見だけ言って逃げることもできる。自分がいかに辛くて悲しいかだけをただただ吐露して満足することもできる。どちらも気持ちはわかるけどそれってかっこわるくないか?
本当のことや信じている気持ちや強い感情を誰かに対して伝えたり打ち明けたりすることには勇気がいる。何故かと言えば、それを聞いてもらう相手の反応が気になるからだ。今現在のくだらないBLOGの多くは、その勇気から逃げている。BLOGを使えば相手の反応をその場で直視する必要はないもんね。自分にとって100%有利な安全な場所で、叫んでは逃げる、叫んでは逃げる。嘆いては逃げる。嘆いては逃げる。だけどそんなことに意味はあるのかな?そんな文章は誰かの心を打つか?
でもさ、打つんだよな、時として。同じ種類のひとたちの心をさ。おままごと。
あなたがもしそれを、普段の会話の中でも相手の目の前で言えるならweb上にも公開すればいい。それが出来ないならだめでしょ。誰かを中傷するだけの文章も、ただ自分の憂いを並べただけの文章も、それは誰もあなたを批難しない、ただの逃げ場。僕がそれを読まなきゃすむだけの話だけど、そういった文章の蔓延は、またさらなる蔓延を呼ぶ。誰しも逃げるのは簡単だからね。でも、いつかそれが「普通のこと」になったらどうする?こわいっしょ。逃げ場は弱さを呼ぶだけよ。
BLOGや個人サイトの普及はもっともっと面白いことになると思ってたけど、実際は。安易さや不愉快さや暴力や、要するにまぁ、きもい。病気だね、社会の。『”癒し”ブーム』あたりから始まってるんだろうけど。辛いと思う自分や悲しいと感じる自分というのを肯定化するような風潮?辛いことをノーマラージとするような?そんな?なに?あーもう腹立つ。
ま、それはまた今度でいっか、mixiでも見ようっと。